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移植医療について思う

朝日新聞「声」:平成11年6月6日

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医学部教員 新見正則(東京都板橋区 40歳)

 

私のドナーカードを家内は秘密の場所に保管している。
わたしが脳死になったときに、臓器提供に同意するかを考えるそうだ。現在の移植医療は、多くの不治の病の患者さんに、日常生活を再び与え、仕事も、スポーツも、そして出産までも可能としてしまう医療である。しかし、私にも臓器提供を素直に受け入れられないところがある。それは多くの臓器は脳死者より提供されなければならないからだ。最愛の家内が脳死になっても、心臓がとまり体が冷たくなるまで抱擁していたいだろう。今までの人生を省みながら。ところが、家内が移植医療以外では、余命が限りあるものとなれば、是非とも移植医療を受けさせたいと願うであろう。その高い成功率を知っているから。運命と思って病気を素直に受け入れることもひとつの方法と思うが、”あげたくない、でも、もらいたい”というのが素直なところか。私が脳死状態となり、私の臓器がどなたかに新しい人生を与える可能性があるならば、きっとその時に、家内は秘密の場所からドナーカードを出し、私の臓器提供の意志に同意してくれるものと思う。その時、私のからだは、暖かく心臓は鼓動していても、自分を規定している脳は死んでいるのである。声を出して、是非同意してくれとは頼めない。

 

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